「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」のプロモーションビデオを見て元気をもらっている僕です。
男らしさ(臭さ?)がヤバいですよね。
歌や動きのキレがとても好きなのですが、逆に亡くなる直前の姿を見るととても悲しくなります。
なんとなく死因を知っている方はいるかもしれませんが、詳しく把握している人は少ないと思います!
この記事では、フレディマーキュリーの死因を詳しく解説し、後半は死の直前の過ごし方についてもお伝えします。
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フレディマーキュリーの死因は何?
フレディマーキュリーの死因は合併症による肺炎で、1991年11月24日の夜に亡くなりました。
世界的に有名な歌手が45歳という若さで亡くなったのは非常に衝撃的なニュースだったので、その当時は世界中で話題になりました。
そもそもフレディが肺炎になった原因はエイズが大きく関係しています。
エイズによって免疫が落ちた状態になってしまったので、肺炎を患ってしまったのです。
直接の死因は合併症による肺炎ですが、エイズを患ったこともフレディが死亡したことに大きく関係していると言えるでしょう。
フレディが患ったエイズ(AIDS)とは、HIV(人の免疫力を低下させるウイルス)を感染したことによって免疫力を低下させる病気です。
つまりHIVに感染すると、そのままエイズを発症するリスクがあります。
フレディがエイズを患った時代は不治の病とされていましたが、現在となっては医療の進歩によりエイズの症状を遅くすることができます。
もう少しフレディがエイズを患うタイミングが遅ければ、結果は変わっていたかもしれませんね。
しかし、そもそもフレディがエイズを患った原因は何だったのでしょうか。
フレディマーキュリーはドラッグは使っていた?
フレディはコケインやエクスタシーなどのドラッグを使用していたと言われています。
ドラッグは体に害をもたらす薬で、過剰に摂取することで意識を失ったり、無自覚に暴れまわったりするなどの健康被害が及びます。
最悪の場合にはドラッグが原因で死にいたってしまうこともある非常に危険なものです。
フレディがどれくらいドラッグを使用していたのかは不明ですが、少なからず健康被害を受けていたでしょう。
また、フレディはドラッグ意外に、ニコチンが多めのたばこ「マルボロ」を愛用していました。
ニコチンも体に悪い成分なので、フレディの体はボロボロになっていたのかもしれません。
しかし、ドラッグやたばこが原因でエイズに感染することはないとされています。
ドラッグやたばこによる健康被害を受けていたかもしれませんが、死因には関係していないでしょう。
ではなぜフレディマーキュリーがエイズを患ったのかというと、過剰な男遊びが原因だと言われています。
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フレディマーキュリーの男遊び
フレディマーキュリーは男性でありながら男性を恋愛対象にするゲイ(またはバイセクシャル)で、当時は男遊びがすごかったと言われています。
フレディがゲイであるという事実は、死亡する7年前から同性の恋人ジム・ハットンと暮らしていたことからもほぼ間違いないでしょう。
当時のフレディは歌手として成功し、非常に裕福な生活を送っていました。
お金に関しては何不自由ない生活でしたが、愛情に飢えていたと言われています。
そこでフレディは派手な男遊びで愛情の飢えを満たしました。
フレディが激しく遊んでいたときの映像がこちらです。
動画にあるのはパーティーに参加しているフレディですが、かなりハメを外していることがわかると思います。
ここまで自由奔放になったのは、フレディマーキュリーが所属するクイーンのメンバーによる影響も大きいです。
クイーンのメンバーはフレディと違って、結婚し子供もいる幸せな日々を送っていました。
その点、フレディにはお金しかない状態だったので、飢えを満たすため自由気ままに過ごしてしまったのでしょう。
その後、フレディの遊びは激化し、不特定多数の男性と関係を持ちます。
時にはゲイの人たちだけが集まるパーティーを開くほど盛んでした。
この激しい男遊びがエイズの原因だとされています。
エイズになる原因ははっきりとしていませんが、性交渉が原因になることが多いです。
不特定多数の男性と関係を持ってしまったので、知らず知らずのうちにエイズを患ってしまったのでしょう。
当時はエイズに関する知識もなかったので、たくさんの男性と関係を持っていたフレディがエイズに発症することは避けられなかったのかもしれません。
不特定多数の男性と遊んでいたフレディですが、その中でもメアリーオースティンとジムハットンは大切な存在でした。
そうなると、メアリーオースティンとジムハットンの二人も、フレディと同じくエイズを患っていたのでしょうか。
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メアリーオースティンはエイズだった?
メアリーオースティンはフレディが初めて付き合った女性ですが、エイズを患っていないと言われています。
フレディとメアリーはクイーンのギタリスト・ブライアンメイの紹介で出会いました。
出会ってから親密な仲になり、二人は同棲することになります。
およそ6年も恋人の関係を続けた二人ですが、ある日フレディは男性と関係を持ってしまったことをメアリーに伝えます。
フレディの告白を聞いたメアリーは衝撃を受け、そのまま二人の関係も終わりました。
しかし、完全に仲が悪くなったわけではなく、恋人でなくなった後も親しい友人だったようです。
その証拠に、フレディが体調を崩してからもメアリーは看病していました。
そのうえ、フレディはメアリーのことを事実上の妻だと言って、フレディが残した資産の多くはメアリーが引き継いでいるようです。
メアリーオースティンはフレディと恋人でしたが、恋人の関係を解消してからは性交渉をしていません。
そのため、メアリーがエイズだった可能性は低いと言えます。
ちなみに、2021年現在も生きていると言われていますが、今現在何をしているのかは不明です。
ジム・ハットンはエイズだった?
フレディが死亡する最期の7年を共にしたジム・ハットンは、1990年にエイズを患っていることがわかっています。
そもそもフレディとジムが出会ったのはゲイバーでした。
フレディからジムに声をかけたようですが、最初は断られます。
しかし、その1年半後に同じゲイバーで運命的な再会を果たし、そのまま恋人になりました。
そこからフレディが死亡するまでジムは一緒に居続けたようです。
しかしその後、ジム・ハットンもエイズに感染していることが判明します。
ジムがエイズに感染した理由はおそらくフレディでしょう。
エイズに感染したフレディと性交渉したため、ジムもエイズを患った可能性が高いです。
そのため、ジムからフレディにエイズが感染したわけではありません。
ちなみに、ジム・ハットンは2010年1月1日に肺がんで死亡しています。
フレディは歌手として成功していましたが、激動の人生を送っていることがわかりますね。
しかし最期は、恋人や友人に見送ってもらえて幸せだったのかもしれません。
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フレディマーキュリーの晩年
フレディマーキュリーの晩年をまとめると以下のようになっています。
- 1987年4月の後半にエイズの感染を認識
- 1990年2月18日にドミニオン劇場で行われた授賞式に参加
- 同時期にクイーンの14thアルバム「Innuendo」の収録のためモントルーに滞在
- 「Innuendo」が1991年1月にリリース
- 1991年の春に新作アルバム「Made in Heaven」の制作に着手
- 仕事を終えたフレディは自宅に帰宅し寝たきりになる
- 1991年11月24日に自宅で死去
フレディがHIVの検査を受けたのは、イギリスのマスコミが報じた1986年10月のことです。
この時、フレディはエイズの発症を否定していましたが、恋人のジム・ハットン曰く1987年4月の後半にはエイズの感染を認識していたようです。
フレディはエイズによって体を侵食されていき、徐々にやせ細った体になっていきました。
しかし、無理を通して1990年2月18日に行われたブリッド・アワードの授賞式に参加しました。
ブリッド・アワードの授賞式に顔を出したのが生前最後のステージでした。
その一方でフレディはクイーンでの活動も続けます。
当時は体もボロボロでしたが、なんとか「Innuendo」をリリースしました。
「Innuendo」はクイーンにとって10年来の英国チャート首位を記録します。
その後、イタリアやスイスでも1位を記録して、アメリカではゴールドディスクをとったほどです。
アメリカのゴールドディスクは、シングルを100万枚以上獲得してときに与えられる賞なので非常に大きな反響があったことがわかります。
そこから時間が経過し、1991年の春に新作アルバム「Made in Heaven」のレコーディングに取り掛かりました。
当時のフレディの体はすでに限界を迎えていましたが、最期に与えられた使命をこなすために奮闘します。
「Made in Heaven」はフレディの死後から4年後にリリースされましたが、全世界で2000万枚を売り上げるという大ヒットをたたき出しました。
クイーンがリリースしたアルバムの中で、最も売れた作品となったので、まさに伝説的なアルバム曲だと言えます。
病を押してレコーディングを終えたフレディは、ケンジントンにある自宅に戻りました。
自宅に戻るころにはすでに限界を迎えていましたが、症状はどんどん悪化し、まずは視力が衰え始めます。
その後も容体が回復することはなく、とうとう自力でベットから出られない寝たきりの状態になってしまいました。
死期が近づく中、フレディの友人であるゴードン・アトキンソン医師や運転手のテリー・ギディングスもフレディのもとへ毎日顔を出します。
クイーンのメンバーやフレディの家族も顔を出し、家族とは幸せなひと時を過ごしたようです。
そしてついに、1991年11月24日に45歳という若さで合併症による肺炎で亡くなりました。
フレディが亡くなった後、フレディの遺言に従って遺体は火葬されたといいます。
フレディマーキュリーの晩年はすさまじいものがありますね。
エイズに感染しながらアーティストの活動を続けるのは並大抵ではありません。
今もなお伝説的な歌手として語り継がれる理由がわかります。
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以上、フレディマーキュリーの死因について解説してきました。
死因についてはなんとなく聞いたことはありましたが、晩年の過ごし方までは初めて知りました。
偉大なシンガーは生きざまがすごいと改めて感じましたね。