コシャマインはアイヌ民族ということで知られていますよね。

しかし、いつの時代に生きて、どのようなことを成し遂げた人物か詳しく知っている方は少ないようです。

この記事では、コシャマインの戦いを中心に、その生涯に迫ってみたいと思います。

後半はシャクシャインとの違いについてもご紹介していますので、ぜひ最後までお付き合いくださいね。


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コシャマインとは

コシャマインの人物像を紹介するために、まずは簡単なプロフィールをご紹介します。

名前コシャマイン
出身地不明
生誕不明
死去1457年5月
享年不明(武田信広に殺害される)
時代室町時代
職業蝦夷地東部の首長

このようにコシャマインは未だ未解明な点が多い人物です。

というのも、コシャマインに関する資料などが、今現在では発見されていません。

そのため、不明な箇所が多いです。

特に生誕年月日については不明なので、何歳に死亡したのかすら分かりません。

ただ、死去した年が1457年なので、1400年代初頭が生誕日だと推測できます。

また、出身地についても不明ですが、コシャマインはアイヌ人なので、蝦夷地で誕生した可能性は高いです。

このように、憶測の範囲であれば数字を出せますが、断言できるわけではありません。

コシャマインについて明確に分かっていることは、アイヌ人が起こした戦争の一つである、コシャマインの戦いに関することだけです。

そう考えるとかなりミステリアスな存在だったことが分かります。

今後、資料が発見されて明確な数字が出ると良いですね。


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コシャマインの生涯

続いて、コシャマインの生涯を解説していきます。

出来事
1457コシャマインの戦いを起こす
1458武田信広によって射殺される

ご紹介したように、コシャマインは謎な部分が多いので、生涯といってもほとんどが不明です。

では、コシャマインの生涯で唯一判明している「コシャマインの戦い」を詳しく紹介していきますね。

コシャマインの戦いが起きる前

コシャマインの戦いは、簡単に言うとアイヌ人と和人の争いです。

アイヌ人とは北海道に住んでいる住民のことで、現在では少数民族として扱われています。

一方で和人は北海道に移り住んだ本州の人です。

現在、北海道に住んでいる人はほとんどの人が和人と言えます。

そんなアイヌと和人は当時、交易が行われていました。

交易が行われていたのは、十三港という現在で言うところの青森県に当たります。

ちなみに、交易ではアイヌが酒や昆布を、和人からは鉄製品や漆などを交換していました。

アイヌにとって鉄製品は貴重で、本州から取り寄せるしかありませんでした。

しかし1454年に、交易を取り仕切っていた安東氏が南部氏との戦いに敗れます。

その結果、南部氏が十三湊周辺を占拠しました。

居場所を失った安東氏は、そのまま北海道に行くしかありません。

しかし、アイヌ人としてはそれを受け入れることを良しとしませんでした。

そこで争いが発生して、のちにコシャマインの戦いへとつながります。

コシャマインの戦いは安東氏が大きく関係していますね。

安東氏さえ来なければ、争いにまで発展していなかったでしょう。


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戦争が起きるきっかけになった事件

安東氏が蝦夷地にやってきましたが、力関係で言うとアイヌの方が下です。

というのも、アイヌは本州から輸入するしか鉄製品を受け取れなかったからです。

その後も安東氏が支配を広げていって、蝦夷地の南部に道南十二館を建てます。

安東氏が支配を増す中、事件は1456年に発生しました。

とあるアイヌ人の青年が、鍛冶屋をしていた和人と口論になって、青年が和人を殺してしまったのです。

口論の原因は小刀の切れ味と値段が相当しないというものでした。

普段から足元を見られているアイヌ人の怒りが爆発した形ですね。

そして、この事件によってアイヌ人の怒りが爆発しました。

そこで立ち上がったのがコシャマインです。

コシャマインは和人に怒りを持っているアイヌたちを集めて戦争の準備を進めます。

いくら上下関係があるからといって、やりすぎると危険だということが分かりますね。


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コシャマインの戦いが勃発

1457年コシャマインは準備を完了して、和人に対して戦争を仕掛けます。

アイヌは次々と和人を攻撃し、広範囲に渡って和人を倒していきます。

一方で安東氏が居を構える道南十二館もコシャマイン軍に攻め込まれます。

館を片っ端からつぶして、12あるうち10の館を攻め落としました。

残った館に残っていたのが、武田信広という人物です。

彼は各地でアイヌ人にやられた和人をかき集めて、反撃の準備を整えます。

すると、あっという間に形勢は逆転して、1458年になると武田信広はアイヌ人の大将であるコシャマインを打ち取りました。

こうして、約1年にも及ぶコシャマインの戦いは終結します。

以上がコシャマインの戦いの流れです。

アイヌ人の怒りはもっともなので、敗北で終わるのは悲しいですね。

個人的にはアイヌ人に勝ってほしかったです。


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コシャマインとシャクシャインの違い

アイヌ人の中でも有名なのが、コシャマインとシャクシャインですが、この二人では生きた時代が異なります。

コシャマインは1400年代でしたが、シャクシャインは1600年代です。

ただ、生きた時代こそ違えど、和人と争ったという意味では共通点があります。

シャクシャインの場合は松前藩と戦っていました。

残念ながらシャクシャインも敗北してしまいますが、その圧倒的なリーダーシップから現在では銅像が建てられています。

コシャマインとシャクシャインは人物や生きた時代が異なりますが、和人に対して怒りを感じていたというのは一緒ということですね。

シャクシャインの生涯を解説している記事もありますので、よかったらご覧になってくださいね。


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コシャマインの戦いを中心に、コシャマインの生涯をお届けしてきました。

青年と鍛冶屋のトラブルから発展したと言われる蜂起ですが、きっと義理人情が厚かった人物だと感じましたね。

資料が少ないことから不明な部分が多い一生ですが、ぜひ今後解明されることを期待してしまいます。



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